2月の勝者、すなわち受験を勝ち抜くには、「父の経済力と母の狂気」が必要と言ったのは、中学受験人気漫画『2月の勝者』です。
お仕事の裏側系の作品は、2023年に『推しの子』がヒットしていることもあって、近年のトレンドになっています。
それにしても、母の狂気とは、なかなかのパワーワードですね。
では、中学受験を乗り切るためには、「狂気の母(父)」にならないといけないでしょうか。
この点、私は条件付きで肯定的に考えています。
「狂気」については、この記事の最後のトピックで取り上げておりますので、そちらをご覧ください。
いずれにせよ、ご両親の受験への熱量は結果を左右しますし、中学受験は親の受験とも言われているのはたしかなことです。
しかし、子供はなかなか親の言うことを聞いてくれませんよね?
時には壮大な親子喧嘩に発展するなんて話も聞きますし、子供に厳しく接して自己嫌悪に陥ったり、なせか夫婦の関係も悪くなったり、、、それでもなお、子供と向き合おうとするご両親には少なからず心が打たれるものです。
私が今の仕事を続ける理由として、まずは目の前の子供を志望校に合格させたいことですが、同時に子供の受験に取り組むご両親を応援したいとも思っています。
ご両親からいただく勉強面以外で多いご相談は、「私の子供に対する姿勢は、これでよいのでしょうか」といった趣旨のものです。
これについては、両親と子供と、それぞれの性格の掛け合わせの問題なので、回答は一通りではありません。
ただ、中学受験の学習内容の中にも、解決のためのヒントは隠れています。
そのひとつが、現代思想の主流である、「構造主義的思考」です。
そこで、受験に役立つ「構造主義」の内容を紹介することが、親子関係に悩むご両親へのヒントを提示することにつながればと思います。
構造主義とは
まず、「構造主義」とは、人間の社会的・文化的現象の裏側には、個人の意思ではとうていどうにもできない構造があるという考え方です。
要するに、自分の考えていることは、純粋に自分の内部から湧いてきたものではなく、日本とか、2020年代とか、社会的なものから形成されるという考え方です。
これは、「我々は、自由にものを考えている」という考えと対立する考えです。
構造主義は、20世紀にフランスの文化人類学者のレヴィ・ストロースに端を発します。
哲学の話なので、当然簡単ではありません。
そんな難しそうな概念が、中学受験生に必要なのでしょうか?
必要です。
実際に、サピックスの教材を例に取ると、6年生第15回のAテキストのコトノハ(覚えるべき重要語句コーナー)には、「文化相対主義」をはじめ、「文化」や「風土」などの言葉が羅列されています。
これらは「構造主義」を解釈する上での前提となる語群です。
文化、風土という辞書上の言葉の意味を覚えてもあまり役には立たないので、私は授業の中で小学生向けにかみ砕いて、構造主義の話をすることがよくあります。
そもそも難しい概念なので、全員ではありませんが。
また、構造主義は現代の大きな思想の潮流でもあるため、その視点から書かれた論説文は、大量に出題されています。
以下の項目で、より具体的に見ていきましょう。
あなたの願望は、幻想です
「子どもによい人生を歩ませたい、子供の夢を応援したい」中学受験生を持つ親は、そんな強い思いを持って受験に臨むかと思います。
私自身も、子供を持つようになって人生に豊かな色彩がもたらされたと感じますし、自身の子供と向き合うことを生き甲斐としている普通の父親なので、その気持ちはよく分かります。
ただ、その強い感情は、私の中から湧き出てくる確固たるものであると感じると同時に、それは自分が属している社会からそう思わされている幻想であることも強く意識しています。
レヴィ・ストロースは、『悲しき熱帯』、『野生の思考』という本を通して、それまで文明は西洋が最先端となって一直線に発展していくものと捉えられていた西洋中心的歴史観を打破し、西洋至上主義的思考から、先進国に住む私たちを解放しました。
20世紀以前は、科学や文化は、西洋的な価値観が頂点としてあって、それに追いついていない未開の地域を導いていくという考えが主流であり、人類は西洋科学などを足掛かりに進歩していると信じられていました。
だからこそ、西洋諸国は帝国主義を掲げ、植民地を拡大することにつながったと指摘されています。
しかし、文化人類学者であったレヴィ・ストロースは、「未開」と呼ばれる社会と、我々文明社会とに共通の法則を見つけて、すべての社会の基盤は同じであることに気づき、西洋中心的な思考が誤りであることを説明しました。
そして、我々の感情は、自身が属する社会から派生するものであって、絶対的な価値を持つものは何もないことを明らかにしました。
つまり、先述した「子供に対する愛」というのも、この時代、この社会に生きることから導かれたひとつの反射的感情であって、そこに絶対的な価値を認めないのが、構造主義の立場です。
強い感情で受験に挑むことは、ときに狂気とも評されることもありますが、なんてことはない、自身が生きている社会から、そうしなければいけないと思わされているものに過ぎません。
それならば、自身に起こる負の感情に対して、そんなに責任を感じなくてもよいのではないでしょうか。
あの学校が人気校である理由
わざわざ聞くことはほとんどありませんが、仮に「志望校に行きたい理由は?」と聞くと、子供は言葉に詰まってしまうのではないでしょうか?
文化祭が、制服が、進学実績が、と色々挙げることはできるかと思いますが、そのどれもが本人が選んでいるようで、そんなことはないというのも、先ほど紹介したレヴィ・ストロースの思想から導くことができます。
とはいえ、反射だろうがなんだろうが、「この学校に行きたいんだ!」という思いが沸き起こっていることそのものは、現実的な問題です。
そこで、この欲望そのものについて、別の角度から考えてみましょう。
ルネ・ジラールはフランス生まれのアメリカ国籍の社会学者ですが、彼は「欲望の三角形」を用いて、人間の欲望を解釈しました。
ジラールによれば、欲望とは具体的な対象に対する欲望ではなく、他者の欲望を模倣したものと捉えます。
中学受験に当てはめて言えば、なぜA中学校に行きたいかは、A中学校に行きたい(行きたかった)人の欲望を、コピーしているというのです。
例えば、旅先で飲食店を探すとき、洗濯機を買うとき、塾を選ぶとき、口コミを気にしますよね。
これらの場合、良いという評価、つまり肯定的な欲求を持っている人のその気持ちを、私たちは模倣するのです。
また、男性でも、女性でも、異性に人気がある人っていますよね。
なんで彼・彼女はモテるのでしょうか。
それは、我々が恋愛に関しても、他人がいいと思ってくれるような人が欲しいと思ってしまうからなのです。
学生のときって、モテる子がローテーションするブームみたいなもの、いわゆるモテ期という言葉を聞きませんでしたか?
受験の人気校も同様です。
なぜA中学校は人気があるのか。
それをジラール的に考えると、文化祭でも、制服でも、進学実績でもなく、「人気校だから」人気があるのです。
今よりもう少し
さて、人気があるから人気があるという堂々巡りのような話をされて、ますますもやもやしますよね。
ここまでこの記事を読んでくださった方には大変申し訳ないのですが、さらにもやもやしていただきます。
でも、もやもやするのって楽しくないですか?
私は内側から知りたいことが沸いてきて好きなのですが、ここまで辛抱強く読んでくださった方も同様であることを祈ります。
さて、自分の欲求は社会から反射的にもたらされていること、そして、それは誰かの模倣に過ぎないことまで確認しました。
でも、みんなが良いというからといって、何でもかんでも良いとは思いませんよね。
今度は、どんなものが良いと思うのか、デイヴィッド・リースマン『孤独な群衆』から考えてみましょう。
リースマンは、同書の中で、「限界特殊化」という概念について触れています。
簡単に言うと、「違い過ぎない程度の違い」と言い換えてよいでしょう。
例えば、街で見かけるおしゃれな服装は、舞台衣装のような派手なものでなく、シルエット、デザイン、素材などが、他と比べて少し良いくらいのものですよね。
歌舞伎の隈取のメイクをして、小林幸子のような衣装を着ている人が初デートの待ち合わせに来たら、相手に走って逃げられても文句は言えません。
ちょっと違うくらいがちょうどよいのです。
また、学校ごとの特徴って、よく分かりませんよね。
そもそも、ご自身の出身校の魅力は?と伺うと、学校そのものというよりも、周りの人たちからの刺激を最上位に挙げる方が多いです。
これも、先述したジラール的に考えれば、医学部を目指す人、難関大を目指す人が周りにいたから、それを無意識に模倣してご自身も頑張れたということでしょう。
そして、その欲求というのは、リースマン的に考えれば、人と違い過ぎない程度の差異であることも同時に必要です。
日本の学校での学習を通して、アメリカ上院議員を目指すとか、国連事務総長を目指すとかになると、差異が大きすぎるので、模倣されるべき欲求として成立しにくいのです。
あこがれの学校に通う姿を思い描いて
ボードリヤールの『消費社会と神話』をご存知でしょうか。
ご存知の方がいらしたら、広告業界の方かもしれません。
商品の機能そのものの紹介ではなく、例えばかっこいい芸能人が、自動車などで颯爽と駆け抜けていくようなCM、いわゆるイメージCMと呼ばれるものが一般化したのは、この本がきっかけとも言われています。
ボードリヤールの思想を、高級品の消費を例にとって考えてみましょう。
世の中には、バーキンやノーチラスなど、定価以上に値段の高いブランド品が存在します。
それらを所有する理由を、「機能」、「美しさ」と考えていたとしても、バッグや時計そのものに、平均的な日本人が1年かけて労働した対価相当の値段は過剰です。
それでもそれらを所有するというのは、それら高級品が言語の役割を果たし、消費行動、すなわちそれを身に着けて外出するという行動が、それを所有しない他者とのコミュニケーション(羨望を集めるなど)として機能すると、ボードリヤールは考えます。
コミュニケーションが成立するためには、記号として成立している、つまり、一般的に高級品として知られていることが必要であり、どんなに費用をかけたとしても、例えばダイヤモンドを散りばめた日時計型の腕時計をしていても、ユニークではあるけど、現代では羨望の対象にはなりません。
ボードリヤールは、コミュニケーションが成立する程度のこの違いのことを、「最小限界差異」と呼びました。
これは、ちょうど先述したリースマン的に言えば「限界特殊化」とほぼ同じです。
つまり、高級品を所有することは、限界特殊化された差異を楽しむという風に言い換えてもよいでしょう。
そして、受験校選びというのは、その出身校で社会的に活躍している人、あるいは、その学校が掲げている理念をもとに社会で活躍している人のイメージを模倣しているともいえるのです。
なぜ東京大学がよいのかと言えば、偏差値が高い(希少性)があって、東京大学で活躍している著名人がイメージ出来て、そのイメージに肯定的な人がたくさんいると感じることから、最小限界差異として価値を認められているという側面もあると思います。
受験校選定においては、志望校出身の方たちの社会的な成功を最小限界差異として捉え、その学校に通う姿を思い描いて模倣しているという作用とも言えます。
狂気は作られたもの
母の狂気というパワーワードは、漫画表現としては面白いですが、構造主義の立場からすると、狂気すらも客観視します。
この記事の最後に、狂気の正体について説明したいと思います。
狂気について研究した構造主義の哲学者といえば、ミシェル・フーコーです。
フーコーは、フランスの哲学者で、『狂気の歴史』という本で、正常の範囲が権力によって狭められ、「狂気」として切り分けられた経緯を説明しました。
近代科学は、分からないものをそのままにしておくことを許さず、世界を「分類し、秩序化し、標準化したい」という欲求を持っています。
そこで標準化になじまないものを監獄に閉じ込め、あるいは精神病に分類して、標準の外側に置くことにしました。
もう少し分かりやすく言えば、最終的には全てを理解できる、歴史は一方向で日々進歩していると驕った西洋中心主義的な科学観によって、正常の範囲から逸脱した思考として狂気は切り分けられてきたということです。
狂気とされるものは、もともと社会の一部であったはずなのに、近代的価値観のもとで切り分けられてしまったことを、フーコーは指摘しています。
そうすると、例えば、高偏差値の人を「神童」、「天才」とあがめる行為も、狂気を切り分けてきた近代的な思考のように思えてきます。
どんな偏差値帯であろうが、自身の力を伸ばそうと努力する受験生の姿は尊いもののはずなのに、偏差値でマウントを取り合うような話を聞くと、国語講師としてはなんとも残念な気持ちになります。
そして、子供のために一生懸命サポートすることをからかう人(あるいはそれはご自身の内面かもしれません)がいたとしても、前時代的な妄信に取りつかれた存在として、気にしなくてよいのです。
つまり、「母の狂気」なるものも、近代社会が生み出した幻想でしかありません!
そして、この記事の冒頭で、「母の狂気」を条件付きで肯定するとしたのは、「狂気」の部分を、「一生懸命子供をサポートしたいと志す親の向上心」と読み替えて、子供とご自身の人生に全力で向き合う親子を応援したいという意味でした。
まとめ
冒頭の繰り返しになりますが、中学受験は、父母の強い思いが大切です。
ただ、それを自ら狂気じみているのではと不安になったら、ご自身の感情を客観化してみてはいかがでしょうか。
構造主義とは、自らの内なる欲望も客観化する作用があり、それによって自身の感情が社会のどの座標に位置するかを眺めることができる考え方だと思います。
そして、子供たちが向き合っている論説文の根底には、こんな現代思想がそこかしこに散りばめられています。
ですから、もっと考えを深めたい方は、まずは子供の国語教材の論説文をじっくり読むことがおススメです。
子供と同じ文章を読んで気づいたことを話し合うのは、とても楽しいことだと思います!
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