【中学受験社会】社会を教える上で心掛けていること

私の小学校時代の卒業アルバムを開くと、「将来の夢」という欄がありました。

Jリーグが始まったばかりだったこともあって、男子はサッカー選手が一番人気でした。

私はというと、「日なたの似合うじいさん」と書いてありました。

斜に構えたことを書きたかったのかもしれません。

今はさすがにそんなことは考えません。

老後のことは考えず、ただ「おちゃらけた社会おじさん」になりたいと思っています。

さて、「社会は暗記科目だから、覚えればいいだけではないか」という話はよく聞きます。

たしかに、単純暗記したものを問う問題を多く出題する学校もあることはたしかですから、まずは子供の志望校群の過去問を見て、どの程度の問題が問われているのかを確認してみることは重要です。

ただ、学校によっては、例えば、ラッセル・アインシュタイン宣言本文の穴埋めする問題や、郊外の大型ショッピングセンターがもたらした功罪を記述する問題のようなものが出題されることがありますが、こういった問題は覚えるだけでは太刀打ちできません。

これらの問題は、いずれも小学生にとっては初見の内容で、思考力を試す問題として出題されています。

では、思考力問題を出す中学校は、社会のテストを通して何を求めているのでしょうか。

本記事は、中学受験に求められる社会の力について書きながら、私が、どのようなことを考えて指導しているかについて触れたいと思います。

目次

社会の試験を通して問う力とは

私は、中学受験社会を、「受験生が今を生きていることの自覚を問うもの」だと認識しています。

「子どもだから知らなくてよい」、「子どもなのにそんなことを考えなければならないのか」という甘えを一刀両断するような厳しさが、中学受験社会にはあります。

そこには、インターネットやSNSが社会のインフラとなった現代で、「AだからBである」という短絡的で、他者の立場に配慮できない思考が広がっていることと無関係では無いでしょう。

あるアメリカの数学者は、この状況を「クリック文化」と揶揄しています。

現代では、よほど気を付けていないと、インターネットやSNSで手軽に情報が手に入るので、それらを通して分かったつもりになるばかりか、偏った考え方に縛られてしまいます。

この記事を書いている現在も、大きな紛争が続いています。

大人はこれらの問題を多面的に解釈し、自らの立場を決定する責任があります。

ただし、小学生はそもそも判断するための背景知識が不足しているだけでなく、情報精査の力も未熟です。

ですから、「ここまでの事実関係が分かったので、そこから○○という考えや、△△という考え方などを導くことができる」というように、分かっていること、分かっていないことを判別し、これから何を知るべきかを主体的に意識することが求められていると考えます。

社会は中学校からの強烈なメッセージが込められている

高校受験社会は資料から論理的に推論する力、大学受験社会は、時事問題のみには左右されない、広範囲にわたる横断的な知識、解釈が問われます。

高校受験では、進学後に事柄を正確に分析する力が無いと高校内容の学習に差し支えるという観点、大学受験では、最低限の正確な知識と目的意識が無ければ、アカデミズムに触れる上で、自ら課題設定することができないという観点から、そういった問われ方になるのでしょう。

中学受験では、当然知識も問われますが、高校受験、大学受験よりも絞ったメッセージが込められていて、また、それは学校ごとに異なります。

ただ、私は、各中学校が異口同音に、「これから生きていくあなたたちの世界の当事者であるという意識を持て」というメッセージを送っていると感じています。

それは、自分が生きている地理的な要因、歴史的背景、現代の諸問題を通して浮かび上がってくる問題に対して、小学生であっても当然持つような素朴な疑問を持っている生徒を迎え入れたいという意志とも言い換えられるでしょう。

例えば、東日本大震災の復興は完了したのか、ロシアはなぜウクライナに侵攻しているのかなど、答えは出せずとも、考えるきっかけは学習過程にたくさんあります。

こんな子には社会家庭教師が効果的

上述のとおり、メッセージ性が強いのが中学受験社会の特徴なので、切り口が重要です。

中学受験家庭教師を付けるメリットは、この切り口について適宜アドバイスを受け軌道修正できることにあると考えます。

社会は、暗記が重要とはいえ、どう理解し、どう覚えるか、人によっては迷ってしまうことがあるでしょう。

そんな時、「これをやればよい」、または「こう考えればよい」などの指針を示されれば、最短ルートを駆け抜けることができます。

つまり、社会で迷走する時間を減らし、4科全体の学習時間の効率化を図りたい生徒に適した材料が欲しいと考える人に、社会家庭教師をつけることが向いています。

次項から、具体的な取り組み方について説明します。

地理で聞かれるのはこんな力

例えば、中京工業地帯の「豊田は自動車、東海は鉄鋼、四日市は石油化学、名古屋は愛知の県庁所在地」と、何の関連もさせずに一問一答的に覚えるだけでは不十分です。

この調子で知識を入れようとしても、独立した項目が頭の中で乱立し、試験のタイミングで瞬時にアウトプットできません。

ですから、「日本の基幹産業である自動車産業で最大の会社であるトヨタ自動車のある豊田市で作られる自動車は、伊勢湾の臨海部にある東海市で鉄鋼を、四日市市で合成樹脂を生産して、関連会社がジャストインタイム方式で組み立て工場に提供して作られた自動車が、名古屋港から出荷される」というように、関連させて「理解」することで、出題者の意図に沿った回答が出来る力を養うべきでしょう。

仮に、このような関連を読み解くことが自力でできたとしても、過分の時間がかかってしまう場合もあるでしょう。

そこで、どんな切り口でそれぞれの項目を理解すればよいか、先回りして提示することが有効だと考えます。

これは次のような図を書くと単純化できます。

私はこういった単純化を、「軸を作る」と言っており、ここが社会を教える上での私の主要な役割であると考えております。

歴史で聞かれるのはこんな力

中学入試で最頻出の人物は「聖徳太子」です。

ああ、それなら知っている!

593年推古天皇の摂政、十七条の憲法、冠位十二階、小野妹子の遣隋使派遣でしょ?

正しいですが、もし上位校を目指すのであれば60点です。

では、聖徳太子は何を目指したのか、これは、①天皇中心の中央集権国家づくりと、②仏教による思想統一の2点から繋ぐことが求められています。

①は、中大兄皇子→天武天皇→持統天皇らに受け継がれたこと、元明天皇のときに、古事記や日本書紀を通して天皇家の正統性を確定しようとしたこと、聖武天皇の墾田永年私財法がきっかけで大きくその理想がくじかれたこと、白河上皇が天皇復権を目指すも武士の台頭を許したこと、後鳥羽上皇、後醍醐天皇が武力に屈したことを、時代区分を越えて縦断的に理解するようなことを意味します。

そのスタート地点として、聖徳太子を位置付けなければなりません。

こう考えると、社会は暗記科目だから、覚えればなんとかなると即断するのは危険だというとことが伝わるかと思います。

なお、②については、桓武天皇の宗教改革だったり、信長が比叡山を焼き討ちした理由だったりまで解説しています。

公民は、現代の人権意識、国際紛争、平和の価値に対するスタンスが問われる

現在、大規模な国際紛争が起きているにも関わらず、日本人が直接戦火に巻き込まれてはいません。

しかし、受験生と同じ12歳の子供が紛争に巻き込まれ、あるいは飢餓や疫病で命を落としている現状があります。

日本で中学受験をすることとは、受験生にとっても、それを支える家族にとっても大きな負担がかかる大変なものです。

ただ、厳しい言い方ではありますが、中学受験で目標校に受からなかった場合に命を奪われてしまうというほど切実なものではありません。

中学受験は、自分の目標を実現するため、自分が大人になって自己実現をするための準備として行っているものです。

それは、ある意味、紛争や飢餓などに苦しむ人たちの犠牲を無視して、自分の目標をかなえようとしているという側面もあります。

中学受験をするためには、心身の安全が保障されていなければ実現しえないものです。

公民は、そのようなことに思いを馳せて学習をしたかが問われる厳粛な分野だと思います。

ですから、例えば憲法のひとつの条文についても歴史に立ち返って理解を繋げたり、現代で議論されている諸問題がなぜ重要なのかを小学生の感覚に引き直して理解したりすることを促します。

そんな難しいことまで、うちの子は向き合える自信がない!という方へ

ただ、小学生の思考力は発展途上で個人差が大きいため、これらを全て解説し切るのは、社会講師の正解ではありません。

生徒のその時点での理解力、性格、目標校、残り時間を総合的に考え合わせ、目標校に合格するために差し支えない範囲を大幅に割愛したり、逆に付け加えたりします。

最終的には、その子が受験を突破する上で必要な部分を繰り返し説明し、その子オリジナルの社会力を作ることが目的となります。

また、歴史的、現実的な問題が重いからといっても、あまりにマジメ腐った話だと、小学生は受け付けてくれません。

よって、理解を邪魔しない程度に、面白おかしく話をデフォルメします。

例えば、「鳴くよウグイス平安京」という有名な語呂あわせを用いてこんな絵を描きます。

そして、○○京の横断的に覚えるために、「(羽を)ムクヨ(694年)ウグイス藤原京→ナットウ(をかけられても耐えている。710年)ウグイス平安京→(カンムリをかぶった桓武天皇に坂上(田村麻呂)でさらし者にされて、ついに)泣くよ(794年)ウグイス平安京(注:カッコ内は口頭で説明する部分です)」として覚えましょうと話します。

要は、小学生が「何それ!?」となる程度に変な例えを引き合いに出して、印象に残すことを目的とした刺激を取り入れます。

授業は楽しく笑いながら!

「笑い(ユーモア)の源は哀愁(ペーソス)である」とは、『トム・ソーヤーの冒険』などで有名な作家マーク・トウェインの言葉です。

ユーモアあふれる彼の作品には、笑ってしまう可笑しさの根本に、登場人物の置かれた抜き差しならない哀しさが横たわっており、だからこそ彼の作品が時代を越えて支持されるのでしょう。

また、かつて総理大臣を務めたある国会議員が、「演説の極意は笑いとペーソスだ」と言っていたという話を聞いたことがあります。

おそらく何百回も街頭で演説をする中で、理屈だけでは人の心に刺さることはなく、哀愁を帯びた笑いがあってこそ人を惹きつけるということができると達観したのでしょう。

大人は、紛争地域に生きている人や、社会的に追い込まれた立場に追い込まれている人のことを思うと気持ちが塞いでしまうことがあるものですが、そんなこと生真面目に話したところで、小学生は楽しくもなんともありません。

大人の大事と、小学生の大事は違うのです。

それならば、ペーソスに満ちた世の中の出来事を、ユーモラスに語ることを通して、小学生のやる気を引き出そうとする大人がいてもいいのではないでしょうか。

だから私は、「おちゃらけた社会おじさん」になりたいと考えるのです。

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